ちょっと前ですが、ゴールデンウィークに西表島行ってきました。
西表島は、イリオモテヤマネコの生息地で有名ではありますが、宮古島や石垣島と比べ、とても穏やかでゆっくり時間の流れている島でした。友人が偶然にも住んでいこともあり訪れていたのですが、その違いにちょっとびっくり。
島内は、大きな山を見渡せる、今までの沖縄の印象をがらっと変える、海だけではない大自然を体感できる島な印象を強く受けました。
直島では、ベネッセハウス・地中美術館・家プロジェクトの他に、野外にもアーティストの方々の作品が展示されており、自由に鑑賞することができます。バスで島中を移動中に「あ、」なんて感じに、ふと発見・遭遇することもしばしば。
大竹伸朗さん制作による「シップヤード・ワークス 船尾と穴」。穏やかな瀬戸内の海岸沿いに、ふと設置された、廃船をモチーフにした作品。
こちらも大竹伸朗さんによる作品で、「シップヤード・ワークス 切断された船首」。難破船を思わせる作品で、先ほどの作品と隣り合わせに展示されていました。作品名から分かるように、船首・船尾の2つで一対の作品のように思えます。
大竹さんの作品のある近くの丘の上には、ジョージ・リッキーさんの「三枚の正方形」という作品が。元々彫刻家のようなんですが、風に反応して動く作品として製作されたようで、地上との設置部は可動式になっており、風が吹くと緩やかに動くような作品になってます。
ジョージ・リッキーさんの作品の丘の内部には、ウォルター・デ・マリアさんの作品「Seen/Unseen Known/Unknown(見えて/見えず 知って/知れず)」があります。
ウォルター・デ・マリアさんの作品は地中美術館にもあり、その作品の迫力はとてつもないですが、ここに展示されているのは、その小型版といった印象。地中美術館の作品を観賞後、この作品を見ると、とても愛着が湧く作品。地中美術館での撮影はもちろん一切禁止なので、紹介をできないのはちょっと残念。
小さな湾の岩肌にも作品が。杉本博司さんの作品で、「タイム・エクスポーズト」の一環。ベネッセハウスにある作品の一環で、時間軸を写真での表現を試みた作品。あえて雨ざらしにし、その劣化により時間の経過を感じさせる作品になっているそうです。
直島では他にも大きなゴミ箱をモチーフした作品が木々の並ぶ道路沿いに展示されていたり、宿泊施設パーク周辺にも多くの作品が野外に展示されています。島全体がまさにアート一色で、美術館の作品以外でも多くの作品を堪能できるようになっています。
サマーウォーズ見ました。面白いです、この映画。
ネットや通信のインフラをOZシステムという、システムにより成り立って生活している社会を元に話が展開されていくんですが、ネット中心の話ではなく、日本の伝統的な大家族をはじめとした人と人のつながりを元に、ネットや通信がもたらす生活内での関連性がとても楽しく・おかしく連動しながら話が展開され、とても引き込まるストーリーとなっていました。
どんなにネット上でのコミュニケーションが発達しても、面と向かって話しつながる、人とのつながりの良さ・大切さをとても感じさせる作品でした。
家プロジェクトのある直島の本村地区。その地域は穏やかな雰囲気の民家の集まる地域で、忙しい日常を忘れ、ほっと穏やかな気分になれる、昔懐かしい空気が漂ってます。
3月中旬に訪れたため、一角には菜の花もきれいに咲いていました。
家プロジェクトの一環の「石橋」。敷地内はすべて写真撮影禁止のため、掲載は断念しましたが、昔ながらの民家を利用した趣のある雰囲気。
小学生の頃、自宅近所を駆け巡っていた頃に見かけた懐かしい雰囲気もちらほら。なんのしがらみのない時間を満喫でき、小学生の頃の気分にタイムスリップ。
今ではほとんど見かけなくなった、懐かしいこの表示も。
直島のアート作品はとても魅力的ではありますが、この本村地区、直島という瀬戸内海に浮かぶ小さな島がとてもうまく融合し、その土地の魅力をさらに引き出していると感じました。
直島に行った際には、時間に追われるスケジュールになりがちですが、ゆったり散歩するのもおすすめです。
ちょっと小高い山にある、家プロジェクトの一環の「護王神社」。
今までの家プロジェクトの作品とは違い、ちょっとうっそうした木々の中に建てられています。
家プロジェクトの一環により製作された神社ですが、元々地域に存在した歴史のある神社。写真家の杉本博司さんにより再建されたそうです。ベネッセハウスや、今回ぼくは宿泊した宿泊施設パークなどに作品の展示もありますが、写真同様、光・水・空気を扱う建築物の作成を行ったそうでです。
神殿につながる階段部分にはクリスタルを用い、神社ではありますが、ほかにない神秘的な雰囲気を感じさせる作品になっていました。
境内下部も、懐中電灯を片手に見物してきました。アート作品なので撮影は禁止なため写真はありませんが、瀬戸内の海からつながるその通路は、考えられた設計になっていました。