ガルサ(Garça)にある、ラーゴ(lago)へ。
ラーゴはいわば池なのですが、暑いブラジルの夏の週末の夜には、暑さをしのぐため
多くの人が池のほとりに集まり、ビールやお酒を楽しみに集まります。道路も車が道を塞ぐほど。
池のほとりには、日系人移民が設置した日本のモミュメントも。春の時期には桜が咲くなど日本色の強い土地でもあります。
街の象徴でもある白鷺が、水辺で一休み。
ガルサに滞在していた当時は、サッカーの練習で明け暮れた日々をブラジルでは送っていましたが、週末になると皆でラーゴへでかけ、騒ぎ、暑さを忘れ楽しんでいたのを思い出していました。時間が経ち、現地の見え方も当時とはだいぶ変わったように感じなりました。
ガルサ・フットボールクラブ / Garça Futebol Clube
以前滞在し、サッカーをしていた「ガルサ・フットボールクラブ」練習グランドへ。
滞在していた当時、コンビニ感覚で皆で利用していたパン屋さん。当時から2倍の広さに増えており、かなりびっくり。
サッカー留学から帰国後、留学当時の友人と連絡を取り合ってはいましたが、「もうクラブハウスはない」、「ガルサ・フットボールクラブはつぶれたらしい」などの噂が飛び交ってはいましたが、実際のところは誰にもわかってはいませんでした。
そういった噂が今回の旅行の発端にもなりましたが、実際現地に行ってみるとまだクラブハウスはあり、それを見た時はかなりテンションが上がってしまい、ブラジルの田舎街ガルサにて一人ニヤニヤしてしまいました。
施設の人がちょうど玄関に出て来たので、中を見せてくれないかと交渉し、あっさりOK。こういうときのフランクさがなんともいい感じです。
クラブハウスにぼくが滞在していた当時も働いていらっしゃった人がいたので、いろいろ話を聞いてみると、サッカーチームはやはり10年以上前に資金的な問題で閉鎖されたそう。今ではフットサルチームとバスケットボールチームが新たにでき、その練習施設として同施設が使われているそうです。
当時使われていたシャワールーム今では使われておらず。
以前砂場による練習場があった場所、今では学校が建設され、がらっと変わってしまっていました。
施設の奥には、フットサル専用の体育館もできていました。中では10代半ばの選手達が放課後の時間を練習に費やしていました。
バスケットコートもできており、大会ではいい成績を残すほどの強豪シーム。
以前滞在していた場所が今でも残っており、懐かしくとても嬉しい気持ちになりましたが、今ではもうサッカーチームがなくなったという寂しさも。ただ10年以上経った今、現地を訪れ1年近くこの場所で生活したのは、非常に貴重な経験になっているんだと改めて実感することができました。
ガルサ(Garça) / ブラジル
ガルサ(Garça)には、以前8ヶ月ほど滞在したことがありましたが、その後帰国して以来13年ぶりに訪れました。
ガルサは、サンパウロから500kmほど離れたなかなかの田舎町。街の中心部(cidade)も、1日ほどで回れてしまうほどの街の大きさ。高いビルなどなく、マンションがひらほらあるほど。
昼食にてブラジルの国民食、フェジョンを。
教会前の広場では人々が思い思いに過ごしていました。
当時通っていたアイスクリーム屋が肉屋になっていたり、レストランの外装が豪華に変わっていたりと、13年も経っているので細かな点で変化はありましたが、街の雰囲気は当時のまま。相変わらずのゆっくりとした空気が流れるほのぼの雰囲気の街でした。
ガルサ(Garça)へ / ブラジル
早朝に地下鉄を乗り継ぎ、長距離バスターミナルへ。
サンパウロ市内に地下鉄は、日本円にして130円で乗り放題。複雑に入り組んだ市内バスより、比較的早く容易に移動できます。
サンパウロ市内には4つの長距離バスターミナルがあるんですが、その内の1つのバッハフンダ(Barra Funda)より、前日に購入しておいたチケットを握りしめ、ガルサ(Garça)へバスで移動です。
途中休憩をはさみながら、大草原の中を5時間のバス移動。
そして、ガルサに遂に到着です。
リベルダージ地区の図書館
リベルダージ地区内にある日伯文化協会へ。ブラジル日本移民資料館に行ってみようと思いましたが、どうやら休館日。館内の方にお話を伺ったところ、入っても構わないとのことだったので、館内をちょっと散策させていただました。
館内には日系人向けの図書館が併設されていました。扱っている書籍は、近年の小説や、ファッション系などの雑誌、日本のドラマが録画されているビデオなど、2009年内に放送・出版されたものも多く扱っていました。
中でも、興味を引いたのは、ブラジル生まれの日系人向けのイラスト入りの日本語教材。パラパラめくり、何気なく写真を撮ったのですが、改めて見ると生活感溢れる単語を掲載しているページが撮影されていました。
リベルダージ地区 / サンパウロ
サンパウロのセ広場に隣接するリベルダージ地区へ。
リベルダージ地区は、ブラジルへ移民した日本人により形成されたサンパウロ内の日本人街。世界最大規模の日本人街でもあるようです。街灯もリバルダージ地区仕様によるちょうちんをモチーフにしたものが利用されていました。
日本ではおなじみの鳥居もリベルダージ地区内に設置され、現地の日本人移民たちによる郷愁の想いにより建設されたそうです。
歩道のタイルも日本の「紋」をモチーフにしたデザインに。
どことなく中国人にも見える日本人仕様のグラフィティー。
リベルダージ地区内には日本語での看板を掲げた多くのお店が点在。お寿司屋さんやラーメン屋さんもあるほど。どこか懐かしい雰囲気のある理容室も。
日系人の方が密集し形成されているリベルダージ地域。あるお店に入った際に日系人の方に日本語で話しかけられ、地球の裏側で日本語で会話するのは、なんだか不思議な気分になりました。
ただ現地の人たちはブラジルにすっかり定着している様子。日系人同士の会話でポルトガル語で話している人たちも多く見かけました。ブラジルと日本の関わりを強く感じられる地域でした。